言葉の水たまり

日々の生活の中で浮かんだ何気ない言葉を、消えてしまう前に掬い上げて、時には丁寧に、時には無造作に溜めておく、そんなブログです。

満腹が怖かったお話

今日はお仕事終わりに、外でご飯を食べてきました。

ちょっと入り組んだ山奥にある老舗で、入り口の門の暖簾から始まり、連なる石畳を歩いていくと、食事処の窓からは真っ赤な鯉の泳ぐ池が見える、なんて趣のあるところでした。野球選手の松井さんや、ホンジャマカ石ちゃんといった著名人も数々ご来店しているそうです。すごい。

カツが有名なお店らしく、私は「ミックスフライ定食」を注文しました。海老フライやホタテ、カニのフライなどが堪能でき、とっても贅沢で美味しかったです。こうやって1日の終わりに美味しいものを食べるのは、何より幸せなことですね。

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さて、食べながらふと思い出したことがあったので、今回はそのお話をしたいと思います。満腹感と共に押し寄せてくる、睡魔と戦いながら。

 

 

今、私はとっても満腹です。ミックスフライ定食のボリュームが予想以上だったので、ちょっと苦しいくらい。

じゃあ、この満腹感って幸せなことだと思いますか?

 

もちろん、まっすぐに考えれば幸せでしょう。実際、美味しいものをお腹いっぱい食べることができて、私は今とっても幸せです。

でも、ちょっと考え方を捻じ曲げてみてください。

満腹って、”これ以上満たされることはない”とも言えませんか。

 

美味しいものを食べて、お腹いっぱい。幸せ。

でも、裏を返すともうこれ以上美味しいものを食べれないんです。美味しいものを食べても、幸せだと感じられない状態なんです。

これって、よく考えると結構怖いことななんじゃないかと思います。

 

 

ずっと昔、毎日がつらくて仕方がない時期がありました。

つらい、と言ってしまうと、何か嫌なことがあったのか、誰かにいじめられでもしたのか、というニュアンスになってしまいますね。

その頃、決して何か嫌なことがあったわけではないです。むしろ、何もなかったんです。

生きる気力も、楽しみも。

本当は、なかったのではなく見ようとしていなかっただけなのですが、それはまた別の機会に。今回は割愛します。

とにかく、何も楽しいと思えず、何もやりたいと思えず、それでもただ日々が流れていくことが、つらくて仕方がありませんでした。

そんな時、唯一生きる楽しみを与えてくれていたもの。それが、食事です。

ご飯を食べる、ということは、無条件で生き物を満たしてくれます。心も、体も。

何が楽しいのか、とか小難しいことを考える必要もなく、ただ美味しいから幸せなんです。生物の本能です。

そうやって食欲を糧として生きていた頃、一番怖かったもの。

それが、満腹です。

満腹になってしまったその瞬間、自分が「楽しい」と思えることがなくなってしまう。それが、怖くて仕方がありませんでした。

食べることは好きだけど、お腹いっぱいまでは絶対に食べない。食べることができなくなってしまうから。

そんな、変てこな生き方をしていた時期がありました。

 

今思い出すと、なんだそりゃって笑い話ですね。でも、当時の私は真剣でした。

ものの見方は、ネガティブに捉えようとすればいくらでもできます。そして、逆もまた然り。

ここからもう少し話を広げることもできるのですが、ちょっと長くなってしまいそうなのでこの辺りで。こんな捻くれたものの見方もあるんだぞ、っていうところで今回の話は終わりにしておきます。

 

 

今でもごくたまに、満腹が怖くなることがあります。

それでも平気なのは、今は幸せを与えてくれる人たちが、いっぱいいるからかな。

それでは、また。