言葉の水たまり

日々の生活の中で浮かんだ何気ない言葉を、消えてしまう前に掬い上げて、時には丁寧に、時には無造作に溜めておく、そんなブログです。

毎日が時間の取り合い

今の私は「文章を書くためだったらどんな努力も惜しまない私」です。

なんのこっちゃという出だしですが、髪を乾かしている時にふと浮かんできたこの考えを、ちょっとだけ掘り下げてみます。

 

私は、あれやりたい!と思ってもあんまり長続きしない、三日坊主なタイプです。

あれやりたい!と思った時は本気で続けていくつもりなのに、いつのまにかその決意はどこへやら。

例えば、部屋の掃除とか。いつも部屋を綺麗にしよう!と思い立って、1,2週間くらいは定期的に掃除するのだけれど、段々早く寝たくなってしまって、まあいいやってやらなくなってしまう。

何でだろうな、と考えた結果、そこには「部屋を綺麗にするために頑張る自分」と「体を休めるために頑張る自分」がいるのではないかと。

きっと他にも私の中には色んな自分がいて、それは「部屋を綺麗にするため」じゃなくて「自分が綺麗になるため」だったり、「体を休めるため」じゃなくて「ソシャゲのイベントを全力で走るため」だったり。たくさんの自分が頑張ろうとしているけれど、使える時間は有限だから、奪い合うしかない。

部屋の掃除の例でいえば、「部屋を綺麗にする自分」が「体を休める自分」に勝てばきっと続けることができて、逆なら続けられない。でも、部屋を綺麗にしたい自分は消えてしまったわけではないから、ふとした瞬間に復活して、今日は掃除をやるぞー!って休みたい自分を追い出す、みたいな。

なんてことはない妄想ですが、なんだかそう考えると、日常っていつも賑やかなのかもしれないなって思いました。

 

ちなみに、この「自分」の数が極端に少ない人が、所謂天才と呼ばれる、すごいことを成せる人たちなのではないかなと思います。

かく言う私は、たくさんいすぎて毎日が時間の取り合いです。しかも日に日に増えていきます。困ったもんだ。

 

みなさんの中には、どんな「自分」がいるでしょうか?

それでは、また。